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イリュミナシオンへのコメント(2018.3.9UP)





 TEXT:細倉真弓(写真家)
 『イリュミナシオン』は時間旅行が出来るドラッグを扱った映画で、映画の中では自身のドラッグ体験を登場人物が嬉々として話す場面がある。私はこのシーンがとても好きだったけれど、それは最近、ドラッグについて語る時に人はなぜ生き生きとするのだろうかと考えていたからでもある。
 ドラッグ体験というのは言ってみれば超個人的なもので、決して人と共有出来ない。どんなに素晴らしい風景や理解を得たような気がしてもそれは脳内でのみ繰り広げられる化学反応の一種で、しかしそれでも自分にとってそれは確実に存在した体験であり、そのことを人に伝えるためには語らないといけないのだ。
トリップするというのはサイケデリックな映像を見るとかめちゃめちゃテンションが上がるとかそういうものではなくて、誰とも共有出来ない自分だけの体験をしてしまう、そういう孤独についての話なのではないかと思っている。
 でも本当のところ全ての体験は個人的なもので、同じものを見ていても全く同じものは誰とも見ることは出来ない。立ってる位置や視力の差、その日の体調、知識、なんでもいいけれど受け取る個人のパラメータで全ての物事は見え方が変わる。
ただ、それでも自分が見たものを人と共有したいという欲望で昔から人は小説を書いたり絵を描いたり映画を撮ったりしてきたのではないだろうか。
 『イリュミナシオン』中でカメラは不安定に揺れたり、ピントが合わずに画面をさまよったりするけれど、それは存在しない誰かの視線に自分を重ね合わせるような体験だった。カメラというのは撮影者と鑑賞者の視線を重ねる機械ではあるけれど、それを生理的にものすごく強化したような体験に思えたのだ。泣けば目の前が曇るような個人的な視線、のような。
 『イリュミナシオン』を見ていること自体がある種のトリップ感を持っていたのは、「誰とも共有出来ない孤独な体験」を共有するための映画だったからじゃないかなと思う。共有することをあきらめないからこそ、その孤独な体験を語るときに人は少し嬉しそうなのだ。
 そして私はそのことにとても勇気をもらったのだ。

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細倉真弓 http://hosokuramayumi.com